2016年4月アーカイブ

そもそも・すみません・は謝罪の言葉である。

人に依頼をするとき、あるいは感謝の気持ちを伝えるときに使う言葉ではない。

言葉づかいの権威と言われるコンサルタントのなかには、「すみません」という言葉はどこにでも使えて、便利な言葉だし、相手をよい気持ちにさせる言葉であるから、謝罪言葉であることにあまりこだわらず、積極的に用いてもよいという人がいる。

最近は人に何かしてもらっても、「ありがとう」どころか「すみません」という言葉さえ言わない人が多いのだから、一面ではこの意見も理解できる。

しかし、何でも「すみません」の言葉一つで済ませてしまうのは、語彙が貧困と言われても仕方がない。

文字どおり「すみません」では「済まない」のである。

大橋直久

最近の言葉づかいで気になるのは、「すみません」の多用である。

「ありがとうございます」「申し訳ございません」「恐れ入ります」の代わりに、「すみません」を使っている人が多い。

お茶を出されて、「ありがとうございます」というべきところを「すみません」と言ってしまう。

人に声をかけるとき、「すみませんが・・・」、謝るときも「すみませんでした」で済ませてしまう。

そんな経験はないだろうか?

「どうも」という言葉づかいも、同様である。

語彙を多く持ち、それぞれの場面に応じて使いこなすことが、社会人としての条件だ。

学生ならともかく、社会人になって何でもかでも「すみません」「どうも」で済ませてしまうことは、実に恥かしいことなのだ。

あなたが残業をしているときに、部下が気をきかせてお茶を入れてくれたとしよう。

そんなとき「ああ、どうも」としか言えないようでは、部下は次からお茶を入れようという気にはならないだろう。

せっかく気をきかせてくれたのだから、「ありがとう」「ちょうどお茶を飲みたいと思っていたところなんだ。

気がきくね」と言ってあげることだ。

そうすれば、お互いがいい気分になれるのである。

大橋直久

敬語の大切さ

人は誰しも他人から認められたいという欲求を持っている。

その欲求を満たし相手を認める、あるいは認めてもらう道具が言葉であり、敬語である。

いくら心の中で相手を尊敬していると言っても、ぞんざいな言葉で接していては、気持ちは通じない。

正しい敬語を使ってはじめて、「あなたを認めています」という気持ちが伝わるのである。

敬語に関して言えば、最も難しいのは、ビジネスとプライベートの「中間の場」における言葉づかいだろう。

たとえば、顧客の応対をするときなどは意識して正しい敬語を使おうとする。

したがって大きな失敗はない。

ところが、アフターファイブの席で上司や先輩と話をするようなときは、つい気がゆるんで、失礼な言葉づかいをしてしまうことがある。

上司・先輩をはじめ、同僚・後輩とのよい人間関係を作るためには、言葉の大切さ、敬語の大切さを十分に理解しておくことだ。

大橋直久

人間は誰でも、当たり前のように言葉を話している。

外国語の場合、一生懸命に勉強しなければなかなか話せるようにはならないのに、自分の国の言葉だと、とくに文法を教えられなくても自然と話せるようになる。

見方を変えれば、それだけに、言葉の持つ意味を理解していない人が多いとも言える。

毎日のように新聞で報道される殺傷事件。

その記事の内容をよく読んでみると、ほとんどの場合、「言葉」に原因のあることがわかる。

「売り言葉に買い言葉」ではないが、ちょっとした言葉づかいが人間関係のトラブルの原因となりやすい。

それが殺傷沙汰にまで発展している。

殺傷事件は極端な例だとしても、何の気なしに喋ったことが、相手を傷つけるケースは決して少なくない。

誰もが自然に喋れるようになった言葉。

しかし、その言葉がときに相手を傷つけるナイフにもなるのである。

よい人間関係を築くためには、言葉の持つ重要性を常に認識することである。

よい言葉つかいはよい人間関係を生むし、軽率な言葉づかいは人間関係のこじれの原因になる。

人間関係は言葉つかいから始まるのである。

大橋直久

前例を巧みに活用する

企画の性質に無頓着でいると、企画しているつもりでいるのに、実際上は、単なる計画をしているに過ぎない場合がある。

たとえば、運動会とか学芸会を準備することは、一所懸命にチエを出して考えたとしても、明らかに計画の分類に入る。

きまり切ったことを、秩序を保って運営していく活動に重点がおかれるからである。

たとえば、国体も、オリンピックも、いずれも、従来の内容を踏襲する活動であるから、運動会を大きくしただけであって、やはり計画である。

わが国の企画は、一般に、前例を巧みに活用する「計画型の企画」が多く、海外から模倣国とかコピー型人間社会などと酷評される原因となっている。

しかし、企画は発明ではないのであるから、大なり小なり、前例の活用とか組み合わせがあるのは当然のことである。

前例の単なる踏襲でなければ、模倣とかコピーといった誘りを受けても、ひるむことはない。

大橋直久

今では家庭でも学校でも手紙の書き方のルールを教える機会が少なくなったせいか、宛名書きの基本を知らない人は意外と多く、会社名と個人名が一緒のときに、「株式会社中村産業御中 佐藤明様」と、「御中」や「様」の二重の敬称が書いてあることもあります。

このようなときは「株式会社中村産業 佐藤明様」と、個人名のほうに敬称をつけて書くだけでいいのです。

なお、姓名を書くときは、相手の名刺に印刷されている字体を使うようにします。

例えば、本人が旧字体の「廣田」という字を使っているのに、「広田」と常用字体で書き直してしまうことは相手に対して失礼に当たりますので、注意してください。

大橋直久

返信用の葉書のルールを知る

新入社員の大下さんは、パーティーの返事を出席で送付しておくように係長に指示されました。

返信用の葉書の宛名が「中村産業行」とすでに印刷されていたので、そのまま送ろうとしました。

ところが、先輩から会社名の後についている「行」は「御中」に直して出すものと注意され、初めて宛名書きにもルールがあることを知らされたということです。

返信葉書(封書)を送付するときは、最低限のルールを知っていないと、会社として、また個人としても恥をかくことになりかねません。

返信葉書(封書)の宛名を書くときのポイントは、次のとおりです。

(1)宛名の最後に付いている「行」を斜線二行で消す。

宛名が会社名・団体名・部署名の場合は「御中」、個人名の場合は「様」に書き改めます。

(2)御出席、御欠席の「御」や、御住所の「御」、ご芳名の「御芳」、貴社名の「貴」を、定規を用い斜線などを引いて、きれいに消す。

(3)返信期限が先であっても、できるだけ早めに送付する。

大橋直久

ワープロやパソコンが普及していることもあって、この種の機器を用いたビジネス文書が多くなってきました。

ビジネスライクな形としては、ワープロなどによる文書のほうが手書き文書よりも読みやすいことは確かでしょう。

定型的な文書の場合には、フロッピィ・ディスクにあらかじめ前文と末文を打ち込んでおき、主文を後から〔挿入〕して書き込むという方法もあります。

そうすれば、いちいち形式的な前文などに苦労することはないでしょう。

ただし、注意したいのはワープロの文書には〔漢字変換〕などで意外な誤字や脱字が見られることがあります。

そのほか、〔複写〕による日時の訂正などを忘れていたり、正しい文書を欠落させていたり、これらは機器を信用してしまった結果として生じる大きなミスの典型です。

手書きの場合には、めったに見られない文字の統一がなされずにプリントアウトされてしまい、そのまま発送して恥をかくこともありますので十分に注意したいものです。

それから大事なこともあります。

部課長の名前で発送する会社として出す文書は形式的なものがほとんどですが、相手をお互いに知っている場合などは必要に応じて文末に、直筆でひと言、書き加えると文書が柔らかくなりますのでおすすめします。

大橋直久

人間の特性

賢い高等動物は、犬でも馬でも、それなりに個性もあり知能にも大きな差があるが、犬は犬なりに、馬は馬なりに、種別ごとに決まった思考のワク組があり、思考回路も決まっていて、決して、それ以上の発想にはならないのである。

このため、人間以外の動物には、企画は絶対にできない。

どんなに優秀な犬でも、企画を立てて馬を演ずることはできない。

サルなのに猫を演じることも無理だ。

人間だけが、企画を立て、自分で馬でも犬でも演じることができるのである。

したがって、企画立案のときに、もし、○○式思考法というような決まった回路に頼ってしまうとすれば、自分で考えることをやめるのであるから、つまるところ、犬と同じように既成のワクの中で考え、馬と同じように一定の方式で行動するようになり、人間の特性を捨てる結果となるわけだ。

大橋直久

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