1911(明治44)年小学校令施行規則の改正とともに幼稚園に関する規程が大幅に改められ、保育内容の要旨と保育時間の制限が除かれた。
幼稚園の自由化が認められ、保育時間の延長により託児所的機能を加えようとするものであった。
その後、幼稚園令制定に向けたフレーベル会・京阪神聯合保育会をはじめ各地に結成された保育関係団体の運動は全国的にくり広げられ、1925(大正14)年第50回帝国議会は建議案を採択、1926(大正15)年同令及び施行規則が勅令をもって制定された。
わが国最初の幼稚園についての独立法令である。
満3歳未満の幼児も事情により入園できるし、保育項目は遊戯・唱歌・観察・談話・手技等と5項目になった。
「等」ということばが入り、地域の実状に即した保育を保育者が工夫できる余地を残した。
保育時間の規定は除かれ、ここでも幼稚園を教育的機能のみでなく、すべての幼児に保護教育の機会を提供することを示している。
さらに保婦の免許状を設け、公立幼稚園の園長の資格を定めた。
この法令は戦後の改革まで用いられている。
大橋直久