国としてはじめて定められた「幼稚園保育及設備規程」は、保育内容を「遊戯・唱歌・談話・手技」とした。
従来の保育内容は、東京女子師範学校付属幼稚園を模範とし、地域やそれぞれの幼稚園で多少の特色をもって定められていた。
その中心はフレーベルの恩物で、同幼稚園の明治17年の改正で「会集・修身ノ話・庶物ノ話・木ノ積立・板排へ・箸排へ・環排へ・豆細工・珠繋ギ・紙織リ・紙摺ミ・紙刺シ・縫イ取リ・紙切リ・描キ方・数へ方・読ミ方・書キ方・唱歌・遊戯」となっていた。
この四項目では修身・庶物ノ話は談話に、木ノ積立以下の恩物は手技としてまとめられ、数へ方や読ミ書キが省かれた。
遊戯を筆頭に置いたことは幼児についての理解が進んだことのあらわれであろう。
また多様な姿で普及していた幼児教育のあり方を、一定の水準に保つうえで大きな意義があったといえる。
「保育四項目」は1926(大正15)年の幼稚園令発布まで約27年間、幼稚園の普及の中で実践された。
大橋直久